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2009年 07月 11日
浙江在線新聞網站 2009年7月3日
--------------------------------------------------- 80年代初め、ゴードン・チャンは親族の経営する建築会社を退職し、ショウ・ブラザーズに入社した。下積みから始め、1988年に《三人世界》で、ホーム・コメディで名を知られるようになった。その後チャウ・シンチーと組み、《逃学威龍(ファイト・バック・トゥ・スクール)》《武状元蘇乞児》、また評判・興行成績共に高かった《飛虎雄心(ファイナル・オプション 香港最終指令)》等、数多くのヒット作を生み出し、最も興行成績を上げる監督の一人となった。また《ビースト・コップス 野獣刑警》で99年金像奨最優秀作品賞を受賞。2008年には、《画皮》で“2億ドル売上げ倶楽部”の監督の列に加わった。 ショウ・ブラザーズのアシスタントから始め、監督する機会を掴もうと奮闘した。ゴードン・チャンの映画界でのキャリアは、奇跡の光に彩られたものではなく、地道に積み重ねてきた香港映画人に共通する人生経験である。しかし金像奨委員会の主席の栄誉に浴したことは、ゴードンが一個人のためではなく、香港映画の活路を見出さなければならないことを意味する。過去の揺れ動いた時期、その美しさ、衰退或いは繁栄を、彼は多くの人と共に経験してきた。そして喜ばしいのは、香港映画産業が大きく後退している時期にも彼は戦い続け、転職をしなかったということだ。粘って待ち、中国進出に努力し、ついに今、新しい世界を切り拓いた。 (前略) 南都娯楽 : そのために、あなたがもっとも望むのは、《恋戦。沖縄》のような創作環境なのですか? ゴードン・チャン : あれはとても特別な、重要な作品です。あるフランスの評論家が、香港にフランス映画が生まれるとは思わなかったと言いました。 また面白い一致なのですが、以前私とレオン・カーファイ、レスリー・チャンが合作した《錦繍前程(レスリー・チャンの恋はあせらず)》は中国星の創業の作でした。《恋戦。沖縄》も百年電影公司の創業作です。 杜琪峰(ジョニー・トー)から話があった時、私は「今、シナリオがない」と答えました。ところが彼は「君ならできる。他の人にはとうてい頼めないが、君なら絶対大丈夫」と言ったのです。そこで「じゃあ、レスリーが出演してくれるなら良いよ」と答えました。シナリオのない状況で演技できるのは、レスリーだけだと思います。レスリーなら分かってくれる。私が何をしているか理解してくれます。彼はウォン・カーワイが何をしているかも分かっているんです。作品には通常少なくともアウトラインがありますが、《恋戦。沖縄》には人物しかなかった。シーンも未定で段落しかなく、毎日の撮影は即興でした。限られた時間の中で、基本的にはウォン・カーワイのやり方で撮影しました。のんびりしていたように言われますが、実際には恐ろしくてたまりませんでした。心理的ストレスは大きく、毎晩2、3時間しか眠れませんでした。
by leslielegacy
| 2009-07-11 00:00
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